2010年11月15日(月) アウ・ロンユー(區龍宇)さんに聞く 
                 「世界の工場」(中国)で労働者の反乱が広がっている


              午後6時半〜 エルおおさか 501       告知チラシこちら


             


<要旨>

中国の自動車産業

ドイツの自動車労働者との交流を経験したが、40代から50代の労働者がおおかった。しかし、中国の自動車労働者は非常に若くて、20代が圧倒的に多い。中国は2009年に世界最大の自動車市場、自動車生産国になった。日本、アメリカの自動車メーカーは利益を中国に依存している。

中国の自動車生産は、2000年には200万台だったが、2009年は1300万台に達した。インドは300万台である。

しかし、2009年に自動車売り上げは48%増えたが、自動車労働者の賃上げは10%にすぎない。中国のインフレを考慮すると、10%はわずかな賃上げと言える。これは、アメリカの自動車労働者の10分の1の賃金である(中国は時給2.1ドル、アメリカは20〜30ドル)。

 

広州ホンダのストライキ

広州ホンダ工場では、半分の労働者はインターンという雇用形態で、彼らは正規採用の3分の2の賃金でいた(工場労働者の月給は1544元であったのに比べて、インターンは900元)。

このストライキ以前でも、労働者の不満は高まっていて、昨年も自動車工場で4件のストライキがあり、今年も1月から3月に9件のストライキがあった。したがって、広州ホンダのストライキは自動車産業での初めてのストという訳ではないが、画期的なものだった。2000人の労働者が17日間のストに入った。彼らの要求は、800元の賃上げだけでなく、職場での組合代表の選出を要求したのが画期的であった。

公式の労働組合は、共産党のコントロール下にあり、実質的には役に立たない存在で、広州ホンダの労組委員長も、商業管理部の副部長という経営側の人物だった(彼の月給は1万元)。ストライキ開始時、この委員長はストをやめるように指示した。

このストライキは、予想に反して成功した。32.4%の賃上げをかちとり、特にインターンは70%の賃上げをかちとった。また、ストライキの後で、職場代表の選挙による選出を省レベルの労組指導者が公式に認めた。彼らが約束を守るか、これが全面化するかは予断を許さないが、重要なことは公式の労組指導者が公式に認めたということである。

 

ストライキの影響

このストライキの影響で、関連する4つの工場の操業が止まった。ストライキ中、1日あたり2億4000万元の損失が出た。このストライキの後、中国各地でストライキが散発的にではあっても広がっていった。正確な情報は報道統制のために得られないが、各所でストライキが発生したことが確認されている。ホンダのストライキの前後48日をとっても、広東省で36回のストライキがあったという報道や全国で5〜7月に少なくとも8つのストライキ(ほとんどは日本の自動車メーカー関連)があったという報道がある。ストライキの波は、広東だけでなく、北京、天津、江蘇、河南、雲南、重慶などに広がった。しかし、7月にはこのストライキの波は止まったと思われる。

 

広州ホンダストライキの意義

第1の意義は、職場代表の選挙による選出を要求として掲げたことである。中国では、国営企業の民営化を通じて国営企業の労働者の力が弱くなった。一方で、民営化された部門や民間部門では2億人が雇用されている。この10年間、民営化に反対する闘いは繰り返されたが、その中で職場代表の選挙による選出が要求されたことは非常にまれである。それは、天安門弾圧によって、労働者の士気が低下したことや労組代表の選挙による選出要求をあまりにも危険だと考えたことによるものである。

一方、民間部門の労働者は、都市の住民登録をしておらず、都市に永住する資格を持っていない。彼らは家族と離れて、単身で農村からやってくるため、都市における組織的な関わりに関心を持っていない。したがって自然発生的なストライキに入っていくが、その一方で労組を作ったり、労組の選挙を要求したりはしなかった。

広州ホンダの労働者は、農村出身の労働者を含めて、農業に従事したことはない20歳代前半の労働者で、彼らは農村に戻る展望を持っていない。農村からの労働者は従来、40歳代になれば農村に戻ると言われていた。1980年代以降生まれの労働者にとっては、農村に戻って商売をするという選択肢はあまりない。

引き続き都市に残りたいと考えている。教育水準も向上している。自動車産業の発展の中で技術職の需要は旺盛である。そのため、彼らは労組に入ったり、代表を選んだりすることにより関心を持つようになっている。

もう一つの背景は、彼らが天安門の弾圧を記憶しておらず、恐れていないことがある。

地区の労働組合は200人のギャングを組織し、ストをつぶそうとしたが、効果がなく、それによって逆に闘争が発展した。また、インターネットを通じての闘争拡大や香港での連帯キャンペーンもあって、地区の行政当局は、弾圧を控えて、要求を受け入れる方向へ転換した。10年前との比較では、ストに対する対応に変化が生じている。10年前であれば、労組や行政機関は容赦なくストを弾圧した。たとえば、2004年のユニデンでのストライキにおいては、労働者は地区の労働組合に相談に行ったが、組合は労働者をだまして、交渉をさせながら、警察にメンバーを逮捕させた。

ところが、ホンダのストライキの後で、地区の労働者は正式に労働者に謝罪した。これは初めてのことである。地区の行政機関はストに寛容になっている。それは不満の高まりとその正当性が明らかになっているためである。

中国では、労働者への分配率が低下し、その結果国内消費の占める割合も減っている。緊急経済政策の成功を政府は宣伝しているが、実際には国内需要はそれほど増えていない。それは労働者の賃金が増えていないためである。4兆元の財政支出にもかかわらず、国内消費の比率は、インドは60%、米国は70%、中国は2009年で35.3%である。共産党ですら賃上げが必要と言っている。

労働者と経営者、政府との対立が起こると、今ではほとんどの人が経営者、政府が悪いと感じている。

中国でシステムを変えるのは非常に難しいが、暴動を起こすのは非常に簡単で、高級車が人身事故を起こしただけで暴動が起きるくらいだ。

つまり、広州ホンダのストライキは、全国の民衆からの道義的な支持を受けていた。天安門事件による士気阻喪からの回復がすすんでいる。

 

中国労働運動の展望

中国の労働者は非常に若い。中国での資本主義の復活は、脱工業の道をたどった旧東欧圏とは違って、工業の発展を伴った。その結果、労働者の数が急速に増大した。1991年には2億4000万人だったのが、2008年では4.7億人とほぼ倍増している。中国の工業労働力は、全世界の4分の1を占め、サービス産業では5分の1を占めている。中国の労働者階級の潜在的な力と可能性は非常に巨大である。

しかし、その可能性を現実にするのは難しい。それは強大な国家機構の存在と労働者が絶望的に分断されているに起因している。また、国営セクターと民間セクターの労働者の間の協力関係が全くない。

公式の労働組合が中国の労働者の自発的な運動を組織化できるとは思わない。中国本土には労働NGOが50以上あって活動している。労働者の自然発生的な活動と労働NGOが結合して、長い目で見れば画期的な突破口を見つけるだろうと信じている。

 

<質疑>

 

Q.公式の労働組合を乗り越えるような組織的な動きがあるのか?

A.ホンダのストライキ自体は自然発生的なもの。

 

Q.労働者は組織を作らない、指導者を持たない、非暴力、が中国労働者の闘いの特徴だと雑誌に書いてあったが、妥結する際にはどうするのか?

A.交渉では自分たちの代表を選んでいる。6月1日に16人の代表を選んだが、経営側は選挙は民主的でないと言ったので、3日に再選挙して30人の代表を選び直した。その中心になったのは若い女性労働者だった。独立した労働組合を作ることは要求していない。公式組合の代表の選挙を要求した。これは戦術的には賢明な方法だった。独立組合結成は違法とされているから。しかし今のシステムでも公式組合の職場代表を選んで、組合をコントロールすることは可能である。上級のレベルでそれが可能かどうかはわからない。政府、共産党の指名なので。

 

Q.中国人民大学の教員に仲介を依頼したと聞くが事実か?

A.労働者が仲介を依頼し、広東に来てもらった。中国の法律では決して違法ではないのだが、経営者はストを違法と主張した。労働者は若くて、労働法の知識に乏しいので、香港の活動家を通じて連絡をとった。この学者が、労働者の要求実現で積極的役割を果たしたのは事実。しかし、争議全体としてみたときには、労働者のイニシアチブ、果敢な闘争、要求が支持を受けたことが勝利の原因である。

 

Q.インターンの雇用上の地位、ストでの役割は?

A.身分的には、職業学校の生徒であり、技術を学ぶために工場にいる。職業学校の最終年度は1年間の工場実習をすることになっている。実習を終えるとその工場での雇用が約束されている。1年間は従業員扱いでなく、低賃金である。それに対する不満でストライキに入った。争議の最中に、学校の教師にストライキの中止圧力をかけさせた。もし言うことを聞かなかったら1年後の雇用の約束は守れないと脅したので、実習生は仕事に戻った。そういう訳でストの後半はスト参加者が急速に減った。ところが、地域の労働組合がストを弾圧しようとして、ギャングの動員をかけたため、もう一度ストライキが高揚することになった。

 

Q.党内の左派、民主派が開発至上主義への批判を強めつつあるので、その流れと結びつくことが重要だという主張があるが、どうか?

A.共産党内の何らかの進歩派が登場する可能性は否定できないが、天安門弾圧の影響を正しく見ておかねばならない。天安門弾圧当時の総書記がどういう運命を辿ったかから教訓を得ている。彼は学生運動弾圧に反対したことで20年間軟禁された。もっと長いスパンで見れば、1949年以来、進歩的な人々は常にパージの対象とされ、人民弾圧した人々が党内で出世してきた。したがって、党内に進歩派が出てくる可能性はあるかも知れないが、実際に変革していくには下からの力が大きな役割を果たすだろう。

 

Q.労働NGOの活動内容は?政府からの攻撃の可能性は?

A.実際にはNGO、ないしは市民団体として登録されている訳ではない。公式に登録されるためには、何らかの行政機関や大学と連携していなければならないので、登録されるのは困難である。したがって、個人事業ないしは企業体として登録している。法律上その活動の枠を超えることはできないので、労働者を直接組織することはできない。10年前と比べると、若干活動のスペースができつつあるが、しかし政治的なことは言えない状況である。

 

Q.ストライキの大半は日系企業か?

A.日本企業だけではない。中国の報道機関は、争議が外国企業で行われているときには非常に好意的である。それは、悪いのは中国ではない、外国のせいだと言えるから。国営企業のストについては、報道統制されていて、検閲されることもある。

 

Q.労働者の闘いと反日デモの関連はあるか?

A.ストライキを組織する際に、反日的な感情に訴えたことは事実としてある。ストライキのリーダーたちは労働者に対して、全ての中国の労働者は決起しなければならない、参加しないものは裏切り者だと訴えた。この「裏切り者」という言葉は、中国語では、中国民族に対する裏切り者という意味を含んでいて、効果的だった。中国の労働者は、日本に労働運動やその活動家が存在することを知らない。ホンダ労組がもしストを支援していたならば、日本人が悪いのではなくて、日本の経営者が悪いことを知ることができただろう。